一寸先は闇という
よくみれば その闇は私の中にある
ときには 月ものぼるが
榎本 栄一
闇とは無明のこと、明るさがないということ、智慧の光がさしていないこと
「主人はけがをするし、子供は病気になるし、ある所で見てもらったら、水子のさわりじゃ先祖のたたりじゃいわれますが……」
「なんでもない時に仏壇を買うたり墓をたてたりするものじゃない。それやるととむらいを出すようなことになるといいますが……」
「よその位牌をわが家の仏壇の中に一緒におくものじゃない。おくと家の中がもめるといいますが……」
などなど、一年の間にはこんな相談をうけることがなん度もある。「そんなバカなことがあるはずはない」と思っていても、人からいわれると気になって、自分でも始末がつかぬものにふくれあがるものである。その上になお悪いことには、この人間の不安や恐怖につけこんで、それを除いてあげましょうという都合のいいおがみ屋さんが、ごまんといるということである。
問題は、さわりやおがみ屋ではなく、むしろ、わけもわからずに人からいわれれば気になりだす「私の心」である。ちょっとしたことで迷い不安になる頼りない「私の心」である。まちがいをまちがいと気づかぬ、おろかしい「私の心」である。
この無智なるおろかな心を無明という。底知れない無明と、これからおこるまちがいだらけの生き方を、何ものにも狂わされぬ生き方にたてなおして下さるものこそが、真実の教えである。