このふみをかく ひたちの人々を
たのみまいらせて候えば申しおきて、
あわれみあわせたまうべく候…。
十一月十二日 ぜんしん
ひたちの人々の御中へ
(この文をかくのも、常陸の人々を頼みにしているのですから、申しあって、(この二人を)あわれんでください。)
ぜんしん…善信、親鸞の別名
往生の近いことを予感された親鸞さまには、気がかりなことがあった。それは晩年の身のまわりを世話してくれた「今御前の母」「即生坊」二人の行く末のことである。身よりたよりもなく路頭に迷いかねない二人を思う時、少なからず心は乱れた。聖人一家にはかねてから物心ともに支えてくれた同行がいた。「ひたちの人々」である。頼みはこの人たちより外にはなかった。
常陸(茨城県)は流罪を解かれた聖人が家族をつれておもむかれた関東(ところ)である。
四十歳から六十歳をすぎる二十年にわたり、ひたすらに凡夫の救われる道を説かれたところであった。相手はいつも田畑を耕し、海山に獲物を求め、奉公したりしながら、力だけがものを言う時代を心細く。だから誰よりも救いを求める人たちである。幼児がやすらかに眠る母の胸のような、人生の最期がゆだねられる胸が欲しかったのである。その胸のありどころを共に語りあかされたのが「ひたちの人々」であった。
しかし、ひたちと京はあまりに遠く三十年の時もすぎている。それでも頼みに出来たのはよくよくの信頼があればこそである。仏さまのまことで結ばれていたからである。これが弘長二年(1263)十一月十二日、ご往生に先立つ十六日、九十歳の命の終りを目前にして、なお煩悩のきづなを断つことの出来ぬ聖人の胸中であった。まことにせつない。
(同行…ともに教えをきく仲間のこと)