出典:スッタニパータ(何ものかを)我がものであると、執着して動揺している人々を見よ。
(かれらのありさまは)干からびた流れの、水の少ないところにいる魚のようなものである。
ブッダはわたしたちを、干上がった川の苛酷な環境にあえぎ苦しみ、自分でもわけがわからないままに、ただやみくもに何かを求めている哀れな魚にたとえている。
いまのわたしたちは、この魚のように、より深い川の流れを求めてのたうち回るようなまねをしていないだろうか?たとえば、あまりに哀しい話だが、死を目前にしながら、もはや何の値打ちもないはずの財産を血眼になって守ろうとしてはいないだろうか。
それにしても、つくづく人間というものは哀れなものだと思う。むろん、この私も例外ではない。家のこと車のこと、今こうしている時もわたしは確実に歳をとりつづけ、ゆっくりと死に向かって歩んでいる。それでもわたしは、家だ車だと無駄なあがきをつづけているのである。
わたしたちは最近ようやく、人が人生においてほんとうに所有しているといえるものは、命だけだということに気づきはじめた。そしてまた、その命さえも、借りものにすぎないということにも。
もちろんブッダは、わたしたちが運よく手に入れたすばらしい数々を、享受することを禁じてはいない。そうしたものに目を奪われて、本来の務めを忘れることを、戒めているだけなのだ。その務めとは、生と死を見つめることなのである。
* ブッダ〜仏陀。略して 仏のこと、ここではお釈迦さまのこと。