良いのもなければ悪いのもない
所詮 この身は借りものなれば
茨木市 中山 義文
核家族がすすみ、ひとり暮らしが増えつつあります。私たちが多くのいのちのつながりの中で生きていることを、実感する場が少なくなりました。そのことからも、亡き人をご縁に、親類縁者が集まって営む年忌法要のもつ意義は、大きいといえましょう。
その一つは、亡き人を通して、連綿とうけつがれている深いいのちの流れに触れること、すなわちいのちの縦のつながりが実感できることです。
二つめには、縁ある者が集うことによって、大きな広いいのちにつつまれて、共に生きていること、すなわちいのちの横のつながりが味わえることでしょう。
つまりは、故人を身近に偲び、なつかしく憶い、いのちをいつくしむ心が、年忌の習慣を定着させてきたのでしょう。
ただ、浄土真宗の教えを伝え、受けついだ者にとっては、年忌法要は、たんに亡き人の霊をなぐさめ、追善供養をするためのものではなく、個人のことだけでなく、我が人生のこしかたゆく末を思い、み教えにふれる機会としていものです。阿弥陀さまの限りないいのちの中に、故人も私も共に抱きとられていることに思いをいたし、阿弥陀さまによって、まちがいなく救われていくことをよろこび、感謝するご縁として、つとめさせていただくのです。