道しるべ

毎日見ている鳥も見ようと思わな見えませんなぁー。

絵師 伊藤若冲

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無題(No513)

日本には多くの仏教の宗派があります。そしてそれぞれの宗派は拠りどころにする教典が異なり、独自の教えを説いています。

大きくあることで、分けると二つに分かれます。それは、お寺の本堂のまん中にいらっしゃる仏さまが「立っている」「座っている」かであります。

座っている仏さまは、動きませんから、修行をして煩悩を除き「聖者」になって仏さまの所まで行き、そこで救われる教えです。

立っている仏さまは、修行もなにもかもが行きとどかなく、「聖者」になれない「凡夫」を哀れみて、仏さまの方から救いに来てくださる教えです。どちらが良い悪いではありません。どちらが自分に合っているかです。

浄土真宗の「阿弥陀如来」は立像ですから、自分の力で救われる教えではなく、阿弥陀如来の本願力(他力)によって救われていく教えです。

私とは、「凡夫」であり「悪人」であり、煩悩が次々とわきおこる私であります。

阿弥陀如来以外の諸仏では決して救われない私であることを自覚し、このような私を阿弥陀如来ただひとりが救いとるぞとおっしゃり、お立ちいただいていることにたいして、お礼申しましょう。その御礼はお念仏「南無阿弥陀仏」を称えさせていただくことであります。

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