道しるべ

今年からは なげき上手から よろこび上手に いいわけ上手から お参り上手になろう

恵まれた念仏

親鸞上人は二十九歳のとき、それまで二十年間修行された比叡の山を降りて、京都の六角堂に百ヶ日のあいだこもられ、夢のお告げをうけて、東山吉水に法然上人をたずねられました。それは、「お釈迦様はたくさんのみ教えを説かれましたが、私のような愚かな者はどの教えをよりどころとすればよいのでしょうか」と、自分自身のいのちのよりどころをたずねるためでした。

法然上人のお答えは、「善人も悪人も、ひとしく救ってくださる阿弥陀仏のねがいを信じて、み仏の仰せのままに念仏申すことです」という一言だったといわれています。

お念仏はたしかに私の口から出ています。しかしそれは、決して私の煩悩の心から出たものではありません。念仏は「お願いだから私の名をよんでおくれ、必ず救いとって浄土へ生まれさせるから」と約束された阿弥陀さまの願いからでてきたものなのです。

浄土真宗では、とくに信仰のあつい人を「妙好人」とよびます。その妙好人の一人、石見(島根)の善太郎さんはお寺の梵鐘がなると、田んぼで仕事をしていても、いつも「ハイハイ、今まいります」と返事をしては、いそいそとお寺まいりをされたそうです。善太郎さんにとっては、見るもの聞くもの一つ一つが、お念仏にかぎらず、み仏や親鸞さまからのよび声と、聞こえていたのです。

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