まことに死せんときは かねて たのみおきつる 妻子も財宝も わが身には ひとつも あひそふとあるべからず
蓮如上人
私たちの人生、この世<此岸>のありさまを、親鸞さまは「火宅無常の世界」とさとされる。人の世は火につつまれた家のように、今にも棟が落ち急変する世界である。私たちは今日まで親に死なれ、つれあいを失い、子供にさえも先立たれ、家業につまづき職を失い、いくたびこの世のままならぬことを、この身に知らされてきたことか。にもかかわらず今なお「今生が一大事」の凡夫なのである。
健康と長生きの話には人が多く集まる。老後の不安がそうさせるのである。だが一体、生まれて死なない人があっただろうか。
何かがご縁となって、「生死の一大事」に心が動き、仏法を聞いてみようと思い立ち、少しずつでも「今生の一大事」から離れようと心がける人は、そうざらにはいない。まことに希有の人と、お釈迦さまや親鸞さまがほめられるのも、当然とうなづかれる。
少しばかり思うようになったとしても、それは一時のこと、やがてこの身からみな離れてゆく。いのちの帰するところは、仏さまの浄土(くに)<彼岸>であることを、火宅の人生にあって、そこに眼をすえて生涯を終わりたい。
* 希有の人・・・・めったにいない人、まれな人