生死の苦海ほとりなし ひさしく沈める我らをば 弥陀弘誓の船のみぞ 乗せてかならずわたしける
親鸞聖人
新年あけましておめでとうございます。
これも命あればのことであります。しかし、この命とて限りあるものです。いつまでも若く、元気で、長命というわけにはいきません。もしも、若さや健康、長命というものが幸福で、老や病や不幸であるとすれば、私たちは、おしなべて不幸になるために、この世に生まれてきたことになり、出口の見えない苦しみから、苦しみへの、際限のない「生死の苦海」に「久しく沈」んでゆくよりほかないことになります。
仏法は「生死を出ずる道」を教えます。生死を出ずるといっても、それは生にまつわる老・病・死を無くするということではありません。むしろ、自の老病死の上に学ぶといった方がよいでしょう。
学ぶには師が必要です。師といっても赤の他人はだめです。私のことを一番気づかってくれる、親より外にはありません。親鸞さまはその師、その親を「釈迦、弥陀は慈悲の父母」と教えてくださいました。そしてその学び方を「聞く」ことだとも教えて下さいました。
新世紀も、驚天動地の出来ごとが次々におこるにちがいありません。凡夫、人間の棲む世界です。苦海です。いよいよ、釈迦弥陀二尊のお育てを、いただきたいものです。