この身は いまは としきわまりて候えば さだめて さきだちて 往生し候わんずれば 浄土にてかならず かならず まちまいらせ候うべし。
親鸞聖人
人生はよく旅であるといわれます。しかし旅であるとするなら、最後に帰りつく所があきらかになっていなければなりません。そうでなければ、行くあてのない流浪の旅になるでしょう。
では人生で最後に帰りつく所はどこでしょうか。これがはっきりしていないと、どんな楽しみの多い日々であっても、それはむなしい砂上の楼閣になってしまいます。浄土真宗の教えは、人生のほんとうの目的を示し帰るべき所を教えています。私の帰るべきところ、それが阿弥陀如来の国、お浄土です。私たちは決して浄土から出てきたわけではありませんが、親の待つところが子供の帰るところですから、祖師がたも浄土を「家郷」とか「本家」とよんで懐かしんでおられます。
親鸞さまは先立っていったお弟子を偲んで「かねて申していたとおり、必ず浄土で会いましょう」とのべられています。お浄土は同じ念仏するものが、もう一度あいまみえることのできる世界です。「阿弥陀経」にはそのことを「倶会一処(くえいっしょ)」ーともにひとところであうことができる世界ーと説かれています。私たちのゆくてには、限りないいのちの世界が帰すべき家郷として約束されていること、そしてそこでふたたび、先立つ人々とあわせていただくことができることを、しみじみと味わせていただきましょう。