散ると見えたは 凡夫のこころ 花は 大地にかえるなり
私たちは、自分は他の人よりも、すぐれた存在でありたいと思っています。人からバカにされたり、見下されると、腹が立つのが何よりの証拠です。もちろん、立派な人間に、世に役立つ人間になるために、すぐれた能力を高めたいということであれば、それはおおいに意味のあることです。
しかし、自分を高めたいという気持ちは、すぐに、自分は他の人よりすぐれているという気持ちにかわってしまいます。仏教でいう「驕慢」つまり、おごり、うぬぼれのこころがそれです。
おごりの中でも最大のおごりは、私は歳よりではない、ボケてもいない、まだ死にはしない、すなわち老、病、死を否定する、否定しないまでも、これをきらう心です。老いる身でありながら老人をきらい、病む身でありながらボケを笑い、死ぬ身でありながら死をきらうほど、己知らずもはなはだしいおごりといわねばなりません。
現代人は、多くのことを学び知っています。しかし多くのことを知っていることが、かえって自分自身の肝心のことを、見えなくしてしまっているといえないでしょうか?
素直に仏様のみ教えに、耳をかたむけましょう。自分を問い直してみましょう。「驕慢の人は信を喜ぶことがむつかしい」と、正信偈にいましめてあります。聞く耳をふさいでいるのは、いつも私、私のうぬぼれ心です。