〈他力本願〉とは、安易な〈他人依存〉とは根本的にちがいます。
国家や、憲法や、政府や、学校や、企業や、世間の良識や、マスコミや、銀行や、その他のすべてに頼る事を捨てるところから発する、真の自力の確信こそ〈他力本願〉の姿です。
五木 寛之
浄土真宗では法名といい、けっして戒名とはいわないことを、まず知っておきましょう。
戒名というのは、悪行をやめて善行をつみ、心を清くしてさとりを得、仏になろうとする出家の人が、仏道修行の基本である戒律(殺さない、ぬすみをしない、不倫をしない、うそをつかない、酒をのまない)をまもることを誓う、受戒の式の時にいただく名前のことです。
これに対して、法名とは、欲しい、かわいい、にくいの煩悩のまっただ中で(これを在家という)明け暮れ、戒律などとは無関心に生きている者が、仏法にめざめ、仏法をよりどころとして生きようとする、在家の仏弟子となった時にいただく名前です。一般には、門信徒は帰敬式、いわゆる「おかみそり」を受けることによって、仏弟子となったあかしとして門主からいただきます。
生前、おかみそりを受ける機会がないまま亡くなった人には、葬儀をとり行う住職が、門主にかわって、「南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧」ととなえつつ「おかみそり」を行い法名をつけることになりますが、本来の意味から考えても、やはり今、生きてる間におかみそりを受けて、法名をいただき、仏教徒としての自覚をもちたいものです。
門主…本願寺の住職のこと
仏弟子…お釈迦さまの弟子、仏教徒のこと