道しるべ

何のその 百年のちは 塵芥

壇 一雄

布施のこころ

布施という言葉は、古いインドの言葉でダーナ、すなわち「ほどこし」という意味です。仏教でいう布施は、必要以上に物を蓄えてむさぼるという執着のこころを、取りのぞくための修行の一つで、人のためにするのではなく、あくまでも自らのためにする行なのです。だから布施を行う場合には、誰に、なにをということを意識してはなりません。さらに、私がほどこしたというとらわれがあってはならないという、きびしい条件がつけられています。

「物」は本来、善でも悪でもありません。しかし、私の思い、たとえば、みかえりを求める下心などが加わるとき、ほどこしはもとの意味をうしなって、みにくいものにかわります。仏教では、そうした物への執着のこころをいましめて、こころからの布施を行うことをすすめているのです。

しかし誰でも身に覚えのあることでしょうが、代償を求めず、純粋無垢の布施行が出来るでしょうか。私たちのするほどこしには、どこかに生ぐさいものがつきまとうようです。もし、ほんものの布施があるとすれば、それは仏さまからのほどこしより外にありません。私の口をついて出るお念仏、ナムアミダブツこそ、仏さまからたまわったもの、ほどこされたものです。

お彼岸は、仏さまからほどこしをいただく日です。共に聴聞して、いただきましょう。

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