道しるべ

信心よろこぶその人を如来とひとしとときたまう

大信心は仏性なり 仏性すなはち如来なり

親鸞聖人

まことの信心をえた人は、仏となるべき徳(仏性)がすべてそなわって、かならず仏となるべき身にすでにきまった人である。したがってその人のことを仏とひとしい人とほめられるのである。

報恩講2

今から八百年ほど前、ただひたすらに私の救われる道は何かということを問いつづけた方がありました。それが親鸞聖人です。聖人がご苦労のすえ、あきらかにされたのは、アミダさまの願いはひとえに私一人のためにあったということ、教えにそむきどうしの私を案じての願いであったということでした。

私たちが今浄土真宗の教えを聞くことができるのは、みな聖人のおかげにほかなりません。報恩講はこの聖人のご遺徳をしのび、そのご恩に報いるための法要で、真宗門徒にとって最も大切な行事であります。

報恩講が現在のような形となってから、すでに七百年も営々とつとめつづけられてきました。ご本山では聖人の命日である一月につとまりますが、地方の寺や門徒では『お取越』といって、年内に引きあげてつとめるならわしとなっています。

親鸞聖人はみずから「自分が死んだら加茂川に流して、魚のえさにでもしてくれ…」といいのこして世を去られました。聖人は九十年の生涯、名誉をもとめず権勢にへつらわず、したがって利害にこだわることもなく、あらゆる迫害にもめげず、ただひたすらにまことに救われて生きぬく道をたずねていかれたのです。そして、つねに苦しみ悩む人びとの中に、自分のすがたを見いだして、その人びとと共に歩まれました。

報恩講には、一度は必ずお参りをお待ちしております。

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